2024年12月10日 星期二

Portrait of an Artist - Sara BARAS 2024

 










Spanish Flamenco Dancer, Prima Donna Sara BARAS



December 11th, 2024


Liau Chung Ren

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2024年9月27日 星期五

2014 - 2024 【佔中】10周年

 




今天2024年9月28日,是【佔中-雨傘革命】10週年。





我還非常清楚地記得10年前那一天所發生的一切。那一年適逢【甲午】年,是【馬】年,午馬五行屬火,果然大事件發生了。我當年五十五歲時值壯年最後一段再差幾年就是「長者」。



當年那一天,我有緣效力【路透社】。這也是我做為新聞攝影師非常難得的機會。我承受的壓力很大,生怕我的工作水平辜負這全世界頂尖的國際通訊社。我從未這樣戰戰兢兢。2014年下午5時58分,聚集在中環金鐘政府總部外邊的市民和在場戒備的防暴警察發生了肢體衝突。香港警察於是對示威群眾施以催淚彈企圖驅散群眾。結果,長達79天的歷史性大規模公民抗命運動,市民佔領分別港島,九龍半島主要幹線大馬路癱瘓交通的罕有事件拉開了帷幕。至晚上,我【路透社】朋友,也是我的總司令,傳來了消息,說:“你有沒有看電視?” 我答:“有” 信息自然全部用英語。他接著說:“ 旺角現在有大量市民開始聚集” 語氣嚴肅。我問:“該如何?” 我朋友立馬斬釘截鐵地說:" You go now ! " 他這句話振聾發聵,驚心動魄我此生不會忘記。 於是,我馬上帶齊器材奪門而出。後來我家人回憶那一刻跟我說了,大哥你出去的時候你的表情十分不安。是的,我感到非常不安,因為,至此那一刻,我從來沒有涉及國際通訊這工作,特別是數碼攝影,我很不熟悉。我的事業是以雜誌作為專業攝影起點,多年來使用幻燈片拍攝圖片而非早期數碼。至於editorial photography 和 Wire Service 在其工作性質上有一定的分別。我在新聞現場這方面,經驗尚淺。




我家住尖沙嘴。我在家附近馬路急忙叫停一部的士,因為地鐵油麻地,旺角站已經實施‘飛站’措施,終止服務。所以我必須趕搭的士。但是令人懊惱的是,的士大佬拒絕把我載到旺角因為他告訴我說,旺角已經封路不能進去。於是,我帶著沈重的器材,兩部相機決定從尖沙嘴徒步到旺角/亞皆老街十字路口。所幸,我走路還行,我以【競步】選手的速度差不多花了二十五分鐘的時間到達旺角目的地。




到達之後,我氣喘吁吁。 我用了幾分鍾時間把自己的情緒穩定下來。然後來了一個深呼吸。我睜開眼睛向環繞四周掃描,希望首先清楚地告訴自己,必須要做好的第一件事情。我叫自己冷靜,要冷靜。我頓時感到渾身像通了電似的。這樣的感覺很久沒有了。我攝影事業在1997 【回歸】那一年達到巔峰之後,由於種種外在原因,自‘97年以後事業的發展可以說沈屙不起。我經歷了非常痛苦的十幾年。直至2014年【佔中】事件的爆發和【路透社】的工作,使得我重獲新生,如久旱逢甘霖。




我開始拍照。我面對那在旺角禰敦道/亞皆老街交界聚集的數千示威者開始拍照。其餘是歷史, 我如魚得水。



我彷彿在夢境裡面,因為我在享受著拍照的樂趣,更感恩能目睹這一切歷史事件的特權。我感覺到渾身是力量,任何人不可阻擋有那麼一股遇神殺神,遇佛殺佛的氣概。攝影是那麼的好,那麼的令人興奮。







長達79天的所謂:【佔中】事件,世界媒體稱之為:【雨傘革命】,後來改稱:「雨傘運動」。這歷史性事件給了我一個不可磨滅的經驗和記憶。同時給我帶來了榮耀。




人生回頭已是百年身。




十年過去了。香港經過種種重大事件已今非昔比面目全非。我也老了。

最後,我在這裡向我【路透社】老朋友致謝。在我人生最黑暗的時刻,你向我毫不猶豫地伸出援手。你的人格,使我重拾了對人類的信心。謝謝你。


吁!俱往矣!



廖中仁 Liau Chung Ren

寫於2024年9月28日【佔中】十週年


* All Photography by Liau Chung Ren for Reuters Pictures 2014

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2024年9月1日 星期日

南溟 Nanmei 2024 ( 10 )

 



城門谷公園とゆう所に大きな蓮池があると聞きカメラを持って出かけてみた。


なるほど、意外と大きな池の一角に群生する蓮の姿が見えた。しかし、陰暦では既に夏が終わっており、私は季節外れの来客となった。六月あたりにくれば池に満開の蓮の姿を見ることができたかも知れぬが、いま、蓮はことごとく枯れてしまっていた。


私は大の猫好きで、曾て7匹もの家ネコを飼っていた。

私はその全ての猫たちの死を見届けた。


猫たちは私に「死」の荘厳さを教えてくれた、最後の一息を深く吸い込みベッドの上ではたと倒れ、生命の鼓動が休止しする瞬間を以って我々薄汚い人類に「死」の気高さを身で教えてくれた、そう、セレンゲティの草原で一匹、死を静かに待つ老病のライオンのように。

人間と違って、動物の死は美しかった、それは極めて荘厳であった。動物を一生愛したことのない人間には其の事を教えても恐らく理解できないであろう。



ピンク色に染まった満開の蓮池もそれはそれで綺麗であろう。

だが、死んで、枯れ果てた蓮の花の姿は更に美しい、少なくとも私の心にはそう映る。


Memento Mori - 死を思え。



自然界は其の儚い生命を全うし、美しく散る。人間は固執しながら、悶え、恐れおののいて死ぬ。 自然だけが美しく死ねる特権を持っている。



私はできたら蓮のようになりたい。




廖中仁

2024, 9.2
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2024年8月30日 星期五

南溟 Nanmei 2024 ( 9 )



 

死に場所は中国寺が良い。

俗っぽく、上品でも下品でもなく、色彩豊かな中国寺で落ち着くのも決して悪くはない。


カトリックだとあのマリア様がうるさく付き纏う。十字架の上で悶え苦しむキリストもたいして心の慰めにならない。毛唐は毛唐、アジア人はアジア人がしっくりゆく居場所でお互い初めて落ち着く。


南溟。



矢張り仏か?はたまた道教の仙人か?

Memento Mori 死を思え。




さすれば人生はますます楽になる。



廖中仁 

2024, 8.31
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「盆」の終わりに。

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南溟 Nanmei 2024 ( 8 )



 


人は去った人間に捧げ物をする。

せめて「天国」で住む家もあり、身にまとう衣があり、また、あの世で使う「金」が足りるように物を死者に捧げる。天国も地獄も金次第と言う諺もある。おそらく中国人はそれを完全に信じているだろう。

どうせ地獄に落ちる身であるなら、法事は俗っぽい方が楽しい。


南溟。


日本の寺は陰湿であり、中国の寺は何処か陽気だ。



「死」への道中、楽な気持ちで行きやんせ。





廖中仁 

2024, 8.31
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南溟 Nanmei 2024 ( 7 )

 



老婆の顔は優しい。


若い頃、私は怒っていた。

若い頃、私は人を許すことができなかった。


人間は長く生きると、’人を許す’ことができるようになる。それを人は「知恵」と呼ぶ。または「徳」とも言う。


そう、死を思え。



そうすれば心は安らぐ。



廖中仁 

2024,8.31
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赤壁賦 2024

 



第一次到烏溪沙,已是二十多年前的事情。


那時候烏溪沙那個地方很靜還沒有都市化。滄海桑田,經過二十多年,驚見在海邊盡是高級住宅成為屏風地帶。地產商決不放過海邊這甚有價值的地皮。人類的貪婪,只顧著本身的利益不斷蠶食著自然界不留一片淨土。


那天獨自在海灘上,因為不是週末沒有什麼人,很靜。

從遠山忽然間來了幾陣驟雨,隨著帶來了清風,一抹涼意。自然界是多麼美好心曠神怡。


不見孤帆但見漁翁在海上打漁。



『 駕一葉之扁舟 , 寄蜉蝣與天地 ,渺滄海之一粟 』

    - 蘇軾 【前赤壁賦】





廖中仁

2024, 8月30日
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* 【前赤壁賦】摘錄。