城門谷公園とゆう所に大きな蓮池があると聞きカメラを持って出かけてみた。
なるほど、意外と大きな池の一角に群生する蓮の姿が見えた。しかし、陰暦では既に夏が終わっており、私は季節外れの来客となった。六月あたりにくれば池に満開の蓮の姿を見ることができたかも知れぬが、いま、蓮はことごとく枯れてしまっていた。
私は大の猫好きで、曾て7匹もの家ネコを飼っていた。
私はその全ての猫たちの死を見届けた。
猫たちは私に「死」の荘厳さを教えてくれた、最後の一息を深く吸い込みベッドの上ではたと倒れ、生命の鼓動が休止しする瞬間を以って我々薄汚い人類に「死」の気高さを身で教えてくれた、そう、セレンゲティの草原で一匹、死を静かに待つ老病のライオンのように。
人間と違って、動物の死は美しかった、それは極めて荘厳であった。動物を一生愛したことのない人間には其の事を教えても恐らく理解できないであろう。
ピンク色に染まった満開の蓮池もそれはそれで綺麗であろう。
だが、死んで、枯れ果てた蓮の花の姿は更に美しい、少なくとも私の心にはそう映る。
Memento Mori - 死を思え。
自然界は其の儚い生命を全うし、美しく散る。人間は固執しながら、悶え、恐れおののいて死ぬ。 自然だけが美しく死ねる特権を持っている。
私はできたら蓮のようになりたい。
廖中仁
2024, 9.2
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