2025年9月17日 星期三

【南溟】藤原新也に捧ぐ / 2025

 


死んだらここで落ち着きたいと思わせる所がある。



見知らぬ仏達に線香をあげた。中国では「四方菩薩」ともゆう。そう、我々は皆いつか「仏」になる、善人も悪人も。




猫はこの世で一番居心地の良いところを見つける。それでなければ「猫」と呼ばない。



「神」はただそこにいるだけでその役目を果たす。だから、そこに’救い’がある。



この世で捨てられて尚且つ美しいのは花だけか?



精一杯太陽を浴びて満開




 
シャンデリアが道教の寺の中を飾る。不思議と似合う。








「彼岸」へ。焦るな、いずれは皆渡し船に乗る。




私がまだ日本の商社に勤めていた頃、会社の日本人の同僚が藤原新也の写真集:「メメント モリ」を僕に贈ってくれた。藤原のインドの写真集は僕の魂に大きな衝撃と感動を与えた。


観てただ感動した被写体を力まず撮る。ドラマを追っかけるのでもなく、また、わざとらしくドラマチックに撮る事でもない。ただ、心に従いシャッターを切る。別に特に構図がどうとか、また、露出がどうとか、そんな技術的な事はどうでも良かった。藤原のネガは時に増感が強すぎて粒子が粗かった。また、直射日光の下で撮った写真はシャドウが真っ黒に潰れていてコントラストが強烈であった。特に帽子を被った顔は真っ黒だった。でも、それが『藤原新也の写真だから』それで良かった。そんな事は全然気にならなかった。いやむしろ藤原の技術的に言って朴訥で武骨な写真は私に撮って大変魅力的に見えた。

ただ、藤原は「生」を彼岸の彼方に見ることの出来る感性の持ち主であった。また、氏は大変に優れた文筆家でもあり藤原の言葉は若い私の魂を揺さぶった。


無論、まず写真を撮る事、感動する事が藤原にとって何よりも一番大切であったのかも知れない。



藤原との出会いから四十数年は経ったろうか? 俺はまだ写真を撮っている。

今も感謝している。


写真の原点にいつも俺を引き戻してくれる彼に。



藤原新也に捧げる。





廖中仁 

2025、9.17


All Photography by Liau Chung Ren

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