日本写真界の巨匠:森山大道。
森山の写真を真面目に見始めたのはごく最近のことである。
私が60代になってからか、偶然彼の写真を真面目に見始めていた。以前、森山の写真に対して大した感銘を受けることは無かった。リコーのポケカメを持って夜の新宿の街に出かけて見るものを何の熟慮なしにスナップしまくる態度そのもが写真家の名声だけ頼りにして食っている道楽者にも見えた。
しかしある日、偶然書店で森山の写真集を見つけ、その一枚の中にあった野良犬の写真、特に、巷の中で森山のカメラに向けて絶望的な表情を投げかけている薄汚ない白い野良猫の写真を見た時、ガーンと金槌で頭を殴られた衝撃を感じた。
それは、「写真」であった。なんの不純な意図、またはわざとらしい作為を持たない、純粋な「写真」であった。だが、森山のフォーカスはあたかも研ぎ澄まされた日本刀の様に鋭い物があった。それはただ一枚の「野良猫」の写真でありながら、他の誰も恐らく撮ることのできない’森山の写真’であった。そこには、我々人間が共有する「人間苦」が写っていた。私の心は熱くなった。
それ以来私は森山大道の擁護者である。
森山は写真の中に政治的メッセージや社会的象徴性を待たせることを嫌ったという。だから森山の写真には殆ど文章による付帯的な説明、あるいは感想文を見る事はない。その点、例えば、同世代の藤原新也の様に写真家として「文」’書くこと’に大きなウエートをかけた作家とは強い対比を成していると言えよう。
見たままに、感じたままに、ただひたすら、一枚一枚シャッターを切る。
写真はそれでいい。
フォトグラファーとして道に迷った時、森山大道の写真を見るが良い。
森山先生が写真を撮ることの原点に帰ることの大切さを我々に教えてくれるであろう。
私もその恩恵を受けた中の一人である。
廖中仁 Liau Chung Ren
2026, 7.25 / Instagram@frame25_ren
*Photography : Liau Chung Ren
