三十数年前、僕がまだ日本の商社で平サラをやっていた頃、同僚の日本人から一冊の写真集をもらった。
その写真集は日本の写真家、藤原新也の MEMENTO - MORI (死をおもえ)とゆう本であった。僕はそれまで藤原の名前は知らなかった。写真集の主な内容は、インド、韓国、日本を中心に撮りためた藤原の心象であった。僕は、そのやや使い古した貰い物の本を閉じたとき、猛烈な、むしろ激動にも似た感動を感じていた。かくて、藤原新也は僕の心の中であたかも僕が少年時代画家ヴァンゴッホに憧れていたような存在となった。
フイルム時代、昭和の写真家である藤原の写真は、大抵、相当アンダー気味でシャドウデイテールは往々にして直射日光の下、黒く潰れていた。また、光不足の下で平気で撮った写真は感度不足のフィルムの上で極めて画質の粗いものであった。しかしこうした全てが藤原新也の写真を構成する個性でもあり魅力でもあった。ただ、あの頃から時代は大きく変わった。写真の技術的革新はフイルムからデジタルえと画期的な変貌を遂げた。三十数年たった今、昭和時代の写真家の作品が今日デジタル時代の洗練された鑑賞眼に耐えうるものであるかは各人によって違いがあると思うが、藤原新也がその魂をぶつけた写真集:Memento Mori の価値は、少なくとも僕の心の中で未だに衰えることなく生き続け、三十三年間写真を撮り続けてきた僕の精神的原点となっている。
その後、藤原新也はまた1990年代、写真集:「南冥」を発表した。「南冥」の中身は台湾、香港で取材した写真が主体となっているが、特筆すべきは、むしろ彼の文筆家としての才能であり、特に彼が欧亜大陸を放浪していた青春時代、ヨーロッパからボスポラス海峡を渡り、さらにインドに到達した後の描寫は当時彼の中で進化していた写真の心と合間って深い哲学的な悟りを言葉に表した素晴らしいもので僕に大きな感動を与えた。
私は、三十三年、写真の道を歩んできた。いま、私はこの歳に至って写真の原点に立ち戻ろうとしている。それは、雑誌や新聞、または通信社の仕事の水準を満たすためにあるものではなく自分の心の赴くまま、もっと随意な、直感的な、本能的な写真を作る事である。いや、むしろ写真を撮るとゆう行為は一つの完璧な「エゴ」である。それが故、究極ゆうならば、写真を撮るとゆう行いは利己的で良いはずである。だから写真は完璧なものでなくても良い、フォーカスが甘くても良い、構図も凝ることはない。ただ我が心が教えるがままシャッターを切ればそれで良い。それは、恐らく、藤原新也が青春時代アジアを放浪し旅していた時、インドで彼が見た「彼岸」の情景を写真に収めたように、直感的で本能的な写真の撮り方に違いないと思う。写真を撮るとゆう行為は自由でなければならない。だが、それと同時に「自由」とは豪奢な特権でもある。故に写真を自由思うがままに撮るには其れ相応の腕前が必要だ。それは必須の前提である。
「その時、私の中から何かが消え去った。私はそれまで持っていた視座を失ったのだ」- 藤原新也【南冥】より。
僕は僭越ながら以下数枚の写真を尊敬する日本の写真家、藤原新也に捧げたい。
廖中仁 Liau Chung Ren
2022年8月1日
Instagram@frame25_ren
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