私はずっと昔、一人の「日本の少年」として日本の横浜とゆう場所から香港とゆう南冥の都市に移り住んだ。
旧啟德飛行場の12月のよく晴れた日に当時、まだ南ベトナムとゆうアメリカの傀儡国家が存在してる時に運営していた「ベトナム航空」で「日本の少年」は降り立った。
土瓜湾、その当時この辺の街のほとんどは「唐樓」とゆう柱付きの中国南方の典型的な3階建の建築群で密集していた。その景色はまさしく壮観とゆうにふさわしい情景であり、その街を父の友達が運転するキヤデラックの中から呆気に取られて眺めていたことが私の香港に対する第一印象であった。
それからだいぶ長い時間が流れた、私の思い出の中の街も最後の痕跡を残しているに過ぎない。
全ては記憶の彼方に遠ざかる。
廖中仁 Liau Chung Ren
2022, 8.8
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