2022年8月6日 星期六

【 南冥 】Nanmei ( 1 )

 



『南冥』とはもとも中国語であり、やや抽象的に「南海」を意味する。


「冥」とは、‘ 遠く離れた ’、または、「海」を意味する。それに対比して中国古代は、例えば、「北海」とゆう言葉が使われた。この場合、北の海は「海」を指してゆうのではなく中華文明の中心地、「中原」から見た、今の西域、新疆あたりの広大な領域を抽象的に指して表現している言葉である。


日本の写真家藤原新也の作品:『南冥』は、彼が旅した韓国、台湾、そして香港を主体にしてまとめ上げたものでありその内容は靜態的な、他愛のない風景、町や小さな巷の映像であった。それらはいかにささやかなものであっても、また一見何の変哲もない風景の一角であっても、おそらくアジアをさすらう日本のカメラマンの心に何かを強烈に伝えた情景であったのかもしれない。それらは、写真家藤原新也の心象としてフイルムに納められた。しかし、その一枚一枚の写真に藤原はキャプション、あるいは、感想文を付け足すことはしなかった。その点、彼の前作 : Memento Mori とは、趣を異にしている。


藤原の眼から見たら、この辺の世界は、彼のゆう、『南冥』であった。例えば、日本人がまだ漢学の教養を持っていた明治から日本敗戦の昭和20年ぐらいまでは、「南冥」と言えば、タイ、ビルマ、マレーシア、インドネシアなど赤道に近い南シナ海の彼方にある国々のことを指して言っていることを理解することは学のある人間はできたに違いない。または、太平洋戦争の激戦地であるグアムとかガダルカナル島とか、南太平洋の遥か彼方はまさしくそれらの島々で戰死した多くの日本兵にとっての「南冥」,すなわち南の果てであった。


南冥,それは、必ずしも「海」を指してゆうのではなく、遥かに広大、かつマクロ的な「アジア」であったのかもしれない。それは後退的な視野の中で漠然に捉えた心象でありまたは垢と汚れ、時間と人々の営みの中にこびりついたアジアの体臭であったかもしれない。


僕も藤原のように、僕なりの「南冥」を残りわずかの時間をかけて写真の中で表現していけたらと願っている。



廖中仁 Liau Chung Ren

2022, 8.7 立秋

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